第一章
 


一、虚実の比率

 太極拳の理論においては、すべての動作の中で必ず虚実を明確にわけなければならず、練習の際には動作のすべてにおいて虚と実があるよう注意すべきである。虚実の調節をきちんと行うためには、まず最初に虚実の正確な意味を認識しておく必要がある。虚、といってもまったく何の力もない状態のことではないし、実というのも全てが満たされている状態ではない。

 両足を例にとってみると、虚は片方の足に全く負荷がかからない状態ではなく、逆に実はすべての負荷が片足にかかっている状態でもない(提腿、独立と解脱擒拿等の動作は除く)。では虚というのはどういう状態なのかといえば、実よりも負荷が少し軽い状態にすぎない。

 この呼び方を力学的にいえば、人体の総負荷の重心に偏りがあるということである。重心が右側に偏っている時には右足が実で左足が虚であるが左側にかたよっている場合は左足が実で右足が虚である。(図8参照

 前述したように、太極拳の動力というのは重心の偏りを転換させることによって発生するものであり、もしその偏りがなく重心が中心線上にある場合は双重(②双重とは両足の虚実が分かれておらず、両方とも実になっている状態である。

 手においても同じである。よって双重になると虚の部分が実で埋められた結果居着きがおこり変換が遅くなる)の状態になってしまい、動力が失われ居ついてしまう。ただこのときに両手を虚の状態で掤することにより双沉(③双沉とは両足の虚実を分けていない、或いはあまり明確に分けておらず双実になってしまっているものの、両手が全て虚、或いはほんの少しだけ虚実がある状態。このようにすることで騰虚(跳び上がるような虚)の状態となる。

 例えば十字手は上下が強調する双実と双虚であるため、双沉ということになる。この時に両手両足は双虚と双実であるものの、基盤と突起の違いがあるゆえに病(欠点)とはならない)の手が生成され、新たな転換の動力を獲得することができる。

 虚実は固定されたものではなく、姿勢の変化に応じて転換させるものである。はじめのうちは虚実を大きくとった姿勢、例えば2対8(これは両足にかかる重さの比率のことで、例えば体重が50kgであるとするならば片足に10kg、もう片足に40kgというふうにする)ぐらいにする。熟練するに従い、4対6というような小さな虚実の姿勢をとる。このようなコンパクトな功夫の段階を経て、動きが小さくなり、虚実の転換の回転も速くなる。

 この変換の切り替えの速さは意と気の変換の速さに由来し、この状態ではどこかで滞留したりどこか一点だけに注視したりということがなくなる。例えば、ある姿勢で左手に注意しなければならない時、ほんの少しの労力を使うこともなくその注意力を左手に転換することができる(①多くの人は右手を多く使用することに慣れているため、左手に注意を払わなければならない場合でもその注意力が右手に残ったままになっている)。このようにして、練習の時には非常にスムーズで、丸い珠がお椀の中を円滑に転がるが如き動きとなるのである。

 姿勢の上では、どのような変換のもとでも”中土離位(重心線が両足を結んだ線上の中心1/3の範囲を出ること)”の状態になってはならない。この範囲を守ることにより、前後左右の変換をなんの抵抗もなく達成させることができる。もし体を片方に寄せた状態で変換を行おうとすると、調整を経なければそれを実行することができない。これでは相手にスキをあたえることになり、また手順が一つ増えたことにより自分のチャンスをも逃してしまうことになりかねない。これを太極拳用語では失機という。失機、失勢等は太極拳を行う上での大きな病(欠点)であるため、虚実のスピーディーな変換は中正立身の状況においてのみ可能であり、これは必ず把握しなくてはならないポイントの一つである。
   
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